ジャンル バイオレンス / ドラマ
製作国 デンマーク=フランス=ドイツ=スウェーデン
製作年 2018
公開年月日 2019/6/14
上映時間 152分
製作会社
配給 クロックワークス、アルバトロス・フィルム
レイティング R-18
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
カラー/サイズ カラー/シネスコスタッフ
監督 ラース・フォン・トリアー
脚本 ラース・フォン・トリアー
引用元:(キネマ旬報映画データベース)
予告編
「上映の途中で100人の観客が出ていきましたが、どう思いますか?」
“200人は出ていくべきだったね”
―ラース・フォン・トリアー―
デンマークの問題児監督ラース・フォン・トリアーが『ニンフォマニアック』から5年の沈黙を破り、新作を発表した。鬱映画の代表として絶大な知名度を誇る『ダンサーインザダーク』、知的障碍者のフリをした若者たちがいたずらを仕掛けていく様を描いた『イディオッツ』など、観客の善意を踏みにじり、モラルを突き崩すようなセンセーショナルな作品を彼は作り続けてきた。
毎回センシティブな題材に怖めず臆せず切り込むラース監督のスタイルは普段からも健在。彼は『メランコリア』公開時の会見にて「ヒトラーに共感する」などとナチスドイツを信奉するかのような発言をしたことによってカンヌ国際映画祭から追放処分を受けていた。今作で追放以来実に7年ぶりの同映画祭出席となる。
出典:imdb.com
そんなラースが今回選んだテーマがシリアルキラー。これまでトラウマ級のショックを与え続けてきた彼が、殺人鬼ものというあまりにも直接的すぎる題材を選択したことに、映画ファンなら誰しも度肝抜かれるトンデモ映画を見れるに違いないと期待と恐怖に胸を躍らせただろう。
そして出来上がった作品は私たちの想像をはるかに超える鬼畜の限りを尽くした残酷絵巻が広がっていた。カンヌ公式上映時には、そのあまりの残虐描写によって多くの途中退場者を出し、米国では業界団体MPAAにより修正が加えられて何とか上映されるという、ほとんど禁書扱いのような状態での公開だった。そんな作品が日本で公開される場合、当然米国以上の修正が加えられるのが当たり前となっているが、本作はなんとノーカット無修正上映。人知を超えた大残酷を体験できるこの機会をぜひ逃さないでもらいたい。
出典:imdb.com
ジャックは端正な顔立ちで、一見大人しそうな男。彼は建築物に強い興味を示し、アーティストとして理想の家を作ろうと没頭している。そんな彼にはもう一つの芸術活動があった。それが殺人である。人を殺害し、死体を使って、おぞましい“作品”を日々作り続けていた…
ジャックを演じたマット・ディロンの狂気に満ちた演技には心底戦慄させられる。サイコパスを演じるにあたって、わざとらしく誇張して演じる俳優もいるが、彼の場合は至極自然にサイコパスの狂気を体現している。目元に深い影を落とし、他者への共感性が完全に抜け落ちた危険な男の表情は必見だ。
出典:imdb.com
映画は殺人鬼ジャックの記憶の中から、順不同に印象的な殺人が彼自身の独白で語られていくというような形式となっている。
とにかくすさまじい描写がてんこ盛り。普通の監督ならどんなにショッキングな物を作ろうと息巻いても、やはり人道的に反することが出来ない絶対的ラインというものを無意識に設定してしまいがち。しかしラースは違う。こちらの予想斜め上をいく、最悪展開の数々。財布に加工されちゃう人、はく製にされちゃう人、車で引きずられて薄っぺらくなっちゃう人…等々
そんな今作の恐ろしいところは、この作品が笑えるコメディとして撮られているということ。ジャックのあまりに荒唐無稽でシュールすぎるバイオレンスにもう笑うしかない。
出典:imdb.com
一番初めの章で登場するユマ・サーマン。車がパンクしてジャックに助けてもらっておきながら、彼を散々煽りまくる彼女。ずけずけとした嫌な女を演じる彼女の演技にもぜひ注目してもらいたい。面白いのはラースが彼女のことを現実世界でも猛烈にイラつかされる女だとコメントしているところ。
出典:imdb.com
3章は子供たちと楽しくピクニック。
ムスッとした子供を笑顔にしちゃいます。
出典:imdb.com
4章に登場するのはライリー・キーオ!
『マッドマックス怒りのデスロード』、『アンダーザシルバーレイク』など注目作に数多く出演してる美人女優がとんでもない目に…
ラースはやっぱり容赦がない…
ラースは偽善を許さない。彼は作品の中で、風見鶏の皮を強引に引っぺがし、その中にある人間の本性を見通そうとしてきた。そして、その中に見た物は常に醜悪な真の姿だった。『イディオッツ』で人々の隠された差別感情を浮き彫りにし、『ドッグヴィル』で集団心理の恐怖を突きつけ、『メランコリア』でそうした取り繕うことを強制する社会に辟易する気持ちを表現した。
今回は、今までのアプローチと逆になっているところが面白い。ジャックは典型的なサイコパスで、他者への感情がなく、倫理観というものを持ち合わせていない。しかし、彼自身は自分がサイコパスであることを知っている。彼の家の鏡の前には、様々な表情を浮かべる人間の写真がたくさん貼られていて、それを見ながら自然な表情を表現するため練習をしている。”人間”の皮をかぶることで社会に溶け込み、本性を悟られないように必死に人間の真似事をしようとする。
出典:imdb.com
つまるところ、本作は異常な殺人者がなんとかして外部から”人間”にみえるように取り繕おうとする話になっているのだ。
さらにジャックの一番怖いところは本質を持っていないというところである。彼の外面の態度は、”人間”から必死に学んだ模倣でしかない。尚且つ彼の行う殺人もすべて実在した殺人鬼の手口を真似ている。彼が芸術と謳う殺人でさえも模倣なのだ。しかしここでジャックに向けられた恐怖は、いつの間にか内なる恐怖に変換されていく。
本質とはなんなのか?
ほとんどの人間が自分の中に他者を思いやり、愛する普通の心をもっていると当然のように思っている。だがそれは本当だろうか?錯覚だとしたら?自分の中にある感情が本物であると証明することは誰にもできない。私たちも社会に適応し、生き延びていくため、通俗的な”人間らしさ”を知らず知らずのうちに模倣しているだけだとしたら?
出典:imdb.com
ラースは言う。誰でもシリアルキラーになる可能性はあると。
本当の自分というのは自分自身でもわからない。
あなたは自分自身が絶対に殺人者にはならないと自信を持って言えますか?
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