スコセッシが再び魅せた人間の”弱さ”『キラーズオブザフラワームーン』

映画紹介

基本情報

ジャンル 歴史劇 サスペンス・ミステリー ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 2023
公開年月日 2023年10月20日
上映時間 206分
製作会社 Apple Studios=Imperative Entertainment=Sikelia Productions=Appian Way
配給 東和ピクチャーズ
レイティング PG-12
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
カラー/サイズ カラー/シネスコ
公式サイト https://kotfm-movie.jp/
コピーライト 画像提供 Apple / 映像提供 Apple

引用元:(キネマ旬報映画データベース)

 

この土地には金と同時に、別のものが入ってきた

 巨匠マーティン・スコセッシが手がけた本作。前作から引き続き4時間弱という長尺を贅沢に使い、巨匠らしい威厳に満ちた堂々たる超大作だ。その根幹はこれまでスコセッシが描き続けてきた人間の持つ”弱さ”によりフォーカスした内容となっており、観客に対してより共感を促す工夫がなされていという点で、近年の同監督作品の中でも特に優れた傑作であるのは間違いない。
その”弱さ”へのフォーカスがどのように行われていたか。それはスコセッシ本人の分身として数多くの作品でタッグを組んで主演を演じ続けてきたレオナルド・ディカプリオの圧倒的な表現力によって生み出されている。
出典:AppleTV
 本作の主人公アーネスト(レオナルド・ディカプリオ)は、第一次大戦従軍後、叔父の地主であるヘイル(ロバート・デニーロ)の元で新たな生活を始める。街の白人権力者であるヘイルの加護を受けながら、運転手としての仕事を始めるアーネスト。そして彼はその仕事の最中で偶然出会ったアメリカ先住民オセージ族のモリー(リリー・グラッドストーン)と出会い、次第に恋に落ちていく。
舞台となるのはオクラホマ州オセージ郡。この土地は石油資源の眠る豊穣の地として知られ、その権利は土地の所有権を勝ち取ったオセージ族が有している。モリーの家族も数多くの土地を所有していた。土地では権利を有するオセージ族を狙った殺人事件が頻発。それは利権を狙う白人開拓者によって引き起こされた事件であることは明白であったが、差別意識の高い白人社会により、まともに捜査は行われず、事件は次第にエスカレートしていた。
そんな状況下、アーネストはモリーと順調に距離を縮めていくが、ある日ヘイルからモリーと結婚することで得られる受益権に関する話を受け、結婚を強く勧められる。そしてアーネストは次第にオセージ族の権利を奪おうと企む白人権力者の血塗られた陰謀に巻き込まれていく。
出典:AppleTV
 以上が本作のざっくりとしたあらすじとなる。行われたいた宣伝に加えて、多くの映画を見慣れた観客にとって、物語はモリーと恋に落ちたアーネストが、白人権力者によるオセージ族への恐ろしい所業を目の当たりにすることで、彼女とその家族を守るため、オセージ族の味方となって白人権力社会と立ち向かう所謂”白人酋長モノ”的展開になることを期待したかもしれない。筆者も作品鑑賞前にあえて前情報をいれず見たかったということもあり、そういった展開になることを危惧していた。しかし、本作はスコセッシ監督作品。ストーリーはいい意味で期待を裏切る方向へと突き進んでゆく。
アーネストはヘイルの受益権の話を持ちかけられた時、その話に反発することなくむしろ興味を持つ。そしてヘイルの思惑通りアーネストはモリーと結婚することとなるが、受益権を独占するためには、モリーの兄弟たちが邪魔な存在となる。そこでヘイルはアーネストにモリーの家族を抹殺することを命じる。ここでもアーネストはヘイルの冷徹に下される命に立ち向かうことができず、自身もオセージ族から権利を奪おうとする白人開拓者として、その手を血で染めていくのだ。モリーの家族抹殺後は、ヘイルの指示によ受益権をより確実に手に入れるため、アーネストは糖尿病の薬と偽りモリーに毒を盛る。
つまり観客が期待したアーネストが善意に目覚め、正義のために行動していくという展開の真逆、むしろ悪の道へと突き進んでいく様を描いているのだ。 
出典:imdb.com
 普通に考えれば、こうした彼の所業は到底許されるはずがなく、観客は彼に対して非常に強い反感を覚えることであろう。もちろん本作でもそうした感情を観客から引き出しているが、それ以上にこの映画で描かれている素晴らしさはディカプリオの傑出した演技力によってもたらされている、”普通の人”としてのアプローチにある。
社会を牛耳る権力に怯え、シーソーゲームの流れにみを任せ、自身の良心を騙し続ける。そして次第に捜査の手が迫り、ひどく狼狽していく様は、強い人間臭さを感じさせるのと同時に、
「自身がその立場だったたらどうするのか?」という問いを観客に喚起させる原動力ともなっている。
果たして自身の大きな権力を持つ恐ろしく冷徹な身内から下された命令に歯向かうことができるのか?今自身が良かれとやっていることは、無意識のうちに自身の良心を騙し、都合のいいように捻じ曲げられた悪行だとしたら。こうした感覚は、モリーに盛っていた毒を自身でも飲み、それが毒であることを確認する場面で、叔父への恐怖と良心との間で引き裂かれたアーネストの心情を非常に的確に表現している。
そして捜査当局の手が伸び、ヘイルとアーネストが行ってきた悪行が白日の下へと晒される第三幕。裁判にかけられたアーネストは、モリーとの結婚は受益権欲しさによるものだったのかということを検察側から追求される。
このシーンでもディカプリオの演技力が輝る。愛に満ちていたモリーと初めて出会ったあの時。しかしモリーの家族の殺害に加担し、彼女自身にも毒を盛った所業を働いた今となっては最初のあの愛の感情は自身の中でも疑わしい。アーネストの中でこの二つの相反する記憶と感情がせめぎ合い、一白置いてから「私は妻を愛しています」と振り絞った声で法定で発言する。その感情の動きを表情の機微だけで巧みに描き出したディカプリオの熱演は、感嘆せざるおえない名場面だったと言えるだろう。
出典:imdb.com
 そして結末である裁判後にアーネストがモリーと対峙するシーンが本作の白眉。モリーはアーネストに「私に注射していた薬の中身はなんだったの?」と質問する。もちろんモリーは注射されていた薬の中身が毒であることは勘づいていた。そしてアーネストは、悲哀に満ちた表情でなんとか声を振り絞る。
「あれは糖尿病の薬だよ」
アーネストはとうとう最後まで嘘をつき続け、そして自身を騙しすぎた結果、何が本当なのか自身でもわからなくなってしまったのだ。果たして俺は本当にモリーを愛していたのか?
 そしてモリーはその一言を聞いた途端立ち上がり、部屋のドアをバタンと閉じて立ち去っていく。そしてアーネストは全ての罪の重さにやっと気づき、後ろに立っていたFBI捜査官に助けをこうように振り返る。このドアの使い方は前作『アイリッシュマン』でも、罪の意識と孤独感に苛まれた主人公がラスト「ドアを閉じすにそのままにしてくれ」といったシーンと符合し、また『ゴットファーザー』のラストで、妻を部屋から追い出しドアを閉したシーンの一種のアンサーとなっている。『ゴッドファーザー』では閉ざす側に立って描かれていた一方で、スコセッシは前作から一貫して閉される側の視点に立ち、神に見放された孤独な”弱い”人間の像をはっきりと浮立たせてみせた。
4時間弱の長尺と巨匠と呼ばれるに相応しい重厚な映像、そしてディカプリオの突出した演技力によって、
「あなたはその時正しい行いができますか?」
という問いを観客に対して正面切って突きつけてくる非常に厳しい作品だった点が本作の最大の魅力なのである。これはこれまでの作品でずっと人間の”弱さ”にフォーカスしてきたスコセッシ監督だからこそ成し得た作品であることは疑う余地はなく、その分身として常に映画史を開拓し続けてきたディカプリオ、そしてデニーロ両雄が奇跡の共演を果たし、熾烈な演技合戦による賜物であったと言えるだろう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました