発売元 : ソニー・インタラクティブエンタテインメント
開発元 : Sony Interactive EntertainmentNaughty Dog
発売日 : 2013/06/20
価格 : 5980円(税込)
ジャンル : アクション
レーティング : CERO Z:18歳以上のみ対象
備考 : サバイバル プレイ人数:1人引用元:4gamer.net
”プレイヤーはゲームの世界のなかで起きている出来事に参加ができる。その一体感がゲームの強みだ。”
-ゲームディレクター ブルース・ストレイリー-
ノーティドッグは映画とゲームの親和性にいち早く気づいたゲームスタジオの一つである。
PS3初タイトルとなった『アンチャーテッド エル・ドラドの秘宝』は”プレイする映画”のキャッチコピーを掲げ、まさに映画的なゲームの先駆けとして発表された。プレイヤーとキャラクターとの一体感がもたらす映画を超えた没入感は、まさに究極のごっこ遊びだ。以後、ノーティドッグはこの『アンチャーテッド』を看板タイトルとしてシリーズ化し、”一体感”の可能性をひたすら追求していった。
その長年の研究のアンサーとして送り出したのが、『ラストオブアス』である。

ゲームの最大の魅力である、”一体感”。
この利点を最大限に押し進めれば、キャラクターとプレイヤーの感情を完全に一致させ、より深いテーマに踏み込んでいけるのではないか?
そんな思いから、本作は開発された。
エンターテインメント性を前面の押し出した『アンチャーテッド』シリーズから純文学的な作風への大きな方向転換は、非常にリスキーな挑戦だった。しかし、ディレクターである、ニール・ドラックマンとブルース・ストレイリーは確かな自信を持っていた。
ノーティドッグが築き上げてきたノウハウを存分に活かし、今一度ゲーム表現を徹底的に研究した本作。発売前からゲームファンの内で話題となり、批評サイトでは満点続出の圧倒的な高評価をたたき出す。発売されるとわずか3週間で320万本という驚異的な売り上げを記録し、その年の最高のゲームに送られる賞『ゲームオブザイヤー』には、200以上のメディアから選出される大成功を収めた。
この成功をもたらした研究の成果とは一体なんだったのだろうか?
それは、工夫された様々なゲームデザイン、リアリズムを追求した物語の組み立て方、そして我々に投げかける普遍的なテーマにあった。
ゲームデザイン
世界と感染者
『ラストオブアス』は、ポストアポカリプスを描いたサバイバルアクションゲームである。プレーヤーは感染者や略奪者が蔓延る危険な世界を旅していく。
舞台はアメリカ。謎の病原菌によって世界が荒廃してから20年が経とうとしていた。人々の多くは危険な感染者や略奪者から逃れるため、軍が圧政的に管理する隔離地域で生活している。裏稼業を生業としていたジョエルとその相棒テスは、反乱軍のリーダーからある仕事の依頼を受ける。それは一人の少女を、反乱軍の仲間の元へと無事に送り届けることだった。簡単な仕事だと依頼を受ける二人。しかしその少女には世界を救うある重要な秘密が隠されていた…

本作のゲームデザインをする上で、最も重要視されたのが、徹底的なリアリズムと、プレイヤーとキャラクターの感情レベルにおける同化である。
ゲームにおいて、その性質を維持するためにリアリティラインにあえて幅をもたせ、お決まりの設定や展開が用意されていることが多い。例えば、クライマックで登場する強力なボスキャラクター、弾薬の入手性が確保された設定などである。しかしこうした要素は本作ではほとんどない。
ゲーム独自のクリシェは、ゲームとしての”娯楽性”を確保できる一方で、物語上の説得力を阻害してまう。それはプレーヤーに”ゲーム”を意識させることによって世界から離れさせ、ある意味での安心感を与えてしまうからだ。本作ではこういった”ゲームの嘘”を極力排除することで、より高い没入感を実現し、キャラクターとプレイヤーの感情をリニアに同期させるゲームデザインを目指した。
本作のディレクター兼脚本家のニール・ドラックマンは当初、感染者を登場させる気さえなかったと語る。
それはプレーヤーにありきたりな”ゾンビゲーム”としての印象を与えるからである。しかし、プレイヤーが脅威と闘うことで物語に参加できるというゲームの強みを活かすには、やはり感染者の登場は不可欠だった。
そこでこだわったのが、いまだかつてない感染者のデザインだ。手垢まみれの一種のアイコンと化した”ゾンビ”像をどうやって、リアルな世界に落とし込んでいくか。

本作では冬虫夏草菌から着想を得て、その独特なデザインを作り上げていった。
冬虫夏草菌とは、昆虫に寄生する実在の菌である。冬のうちに寄生し、宿主の脳を乗っ取り、夏に増殖しきった菌はキノコとなって虫の体を突き破る。そして、突き破ったキノコは新たな宿主に取り付くため、胞子を放つ。
この菌が人間にも感染したら?それがこのアイデアの原点だった。
感染者は菌に脳を乗っ取られ、凶暴化して生存者を襲うようになる。外見は段階ごとに変化する。初期段階では、普通の人間とさほど差はない。
しかし、感染が進むにつれ、脳で増殖した菌が頭蓋骨を突き破って露出する。最終段階では、宿主の体は朽ち果て、体中から露出した菌によって胞子を発生させ、吸い込むものを感染させる。

感染者のデザインは、カラフルな菌によって彩られ、おぞましいながらもどこか美しい。さらに、その外見は本作のテーマの一つである”自然”をも想起させる。

これまでになかった自然と一体化した感染者像は、感染者=ゾンビの固定概念を完全に壊してみせた。そしてこの新鮮なデザインは多くのクリエイターを魅了し、至るところでその影響を感じることができる。

出典:http://www.chrytic.com/2018/12/the-10-best-films-of-2018_11.html
自然を強調した世界観も、プレイヤーを物語に没入させるために機能している。

人類が消え去ろうとしている世界は緑に覆い尽くされ、自然へと還っていく。当時最高のグラフィック技術を使用して描写されたその世界は息を呑むほど美しい。その情景に挟み込まれるグスタボ・サンタオラージャのスコアと相まって、ノスタルジックで物哀しい印象をプレイヤーに与える。
この郷愁感はかつて文明社会で暮らしたジョエルの感覚であり、文明人である我々の感覚でもある。さらには、遺伝子レベルで我々にプログラムされた自然への懐古でもあるのだ。
このように世界観の設定でもプレイヤーの感情を操作し、キャラクターとの同化を狙ってデザインされているのである。
戦闘と物資システム
『ラストオブアス』の力強く息づいたリアリズムは、戦闘や探索といったゲームシステムの中にも見ることができる。
重要だったのが、戦闘や探索といったゲーム的要素の中でも、物語上の説得力を持たせ、さらにストーリーを進行させなければならない点であった。
まず本作の過酷な世界を表現する上で最も機能したのが、限られた物資と、アイテムの作成に選択肢を与えた点だろう。本作の回復アイテムや弾丸の数は非常にシビアに設定されており、無駄にできない。

さらに、同じ原料を使って異なるアイテムを作成できる。回復薬を作成するか、火炎瓶を作成するか、プレイヤーは状況に合わせて限られた物資を工夫しながら使っていかなくてはならない。
また物資を使ってアイテムを作成する際、ゲームにありがちな時間の停止が起きない。アイテムを管理する場面でも時間は経過するため、プレイヤーは敵から隠れて安全を確保する必要がある。
こうしたデザインによって、プレイヤーはキャラクターと同様に危機感を抱き、物語そのものに当事者意識を持つ。
そして本作の世界に最も説得力を与えているのが、リアルなリアクションをするAIである。
プレイヤーの行動に合わせて、AIの反応も変わり、まるで本物の人間と対峙しているような錯覚をプレイヤーにもたらす。共に旅をするエリーの行動は、ジョエルの行動によって変化する。敵を回避する行動を取れば、エリーもそのような行動をとり、攻撃的なプレイスタイルをとればエリーも交戦的になる。
また敵対しているキャラクターは、プレイヤーが銃を持っていれば、接近してこなくなり、また弾が切れたことが分かると突進してこようとする。格闘によって組み伏せると、命乞いをしたり、非常に人間臭い仕草を見せる。こうしたアクションは、ただ単にゲームにおけるモブキャラを倒しているという感覚ではなく、生き抜くために他人を殺すことの恐ろしさ、暴力ついて、この物語が語ろうとしているテーマを深く意識させる。

ノーティドッグのストーリーテリング

『ラストオブアス』は、所謂一本道と呼ばれるゲームだ。
用意されたシナリオにそって物語が進み、プレイヤーの選択による分岐などは起こらない。『アンチャーテッド』をはじめ、ノーティドッグはこうした一本道である作品にこだわり続けて来た。
昨今では、プレイヤーの自由度を優先し、選択によってキャラクターとの関係性や、結末が変わったりする作品が増えている。そうした自由度を持たせることで、プレイヤーの行動に世界が反応し、変化していくプレイ体験は、ゲームと現実の境界線を無くし、ゲーム世界を息づかせる。
しかしノーティドッグはそうした自由度をあえて否定し、本作でも古臭い一本道を貫いた。それは自然でリアリズムのある物語と演出さえあれば、自由度は必要ないという強い自信を感じさせる。
そうした”自然さ”は、クリエイターたちに提供している制作環境に依存している。ノーティドッグでは、部署に関係なくお互いに意見を出し合い、作品に反映させていく非常に柔軟な制作体制をとっている。
この作品作りの姿勢は、カットシーンによく現れており、本作のキャラクター描写の深さにとどまらず、物語の方向性をも作り出していった。カットシーンの演出は、ディレクター兼脚本家のニール・ドラックマンが行った。俳優たちの意見を取り入れ、アドリブを引き出し、現場で脚本の修正を行いながら、ニールは物語を形作っていった。
その演出法の効果が最も顕著に出てるのが、エリーのキャラクターである。エリーは当初の脚本では、あまり戦闘に参加する設定ではなかった。しかしエリー役のアシュリー・ジョンソンは、撮影をこなしていく過程でキャラクターを理解し、物語に説得力を持たせるためには、戦闘に参加しなくてはならないと考えた。彼女の意見はすぐに取り入れられ、脚本の書き換えだけでなく、ゲーム後半の展開やそれに伴うゲームデザインの練り直しも行われた。
物語序盤ではただ単に被保護者としての存在だったエリーが、旅を通して成長していくという物語の根幹にとって非常に重要な変更が行われたのである。
そして、物語のつかみとなるプロローグにもニールの手腕が輝る。
本作のテーマはプレイヤーとキャラクターとの一体感。それを実現するためには、つかみとなるプロローグはなによりも重要だった。プレイヤーを一瞬でも世界から離れさせてはならない。そのため、根底となる冒頭シーンは必要な情報をすべて与えた上で、さらには強く感情移入させる必要がある非常に難しいシークエンスである。

開幕、ジョエルの娘サラが父に誕生日プレゼントの時計を贈るカットシーンから物語が始まる。短いシーンにも関わらず、物語の展開を予感させ、テーマを象徴している非常に”映画的”に演出されたシーンだ。
そしてプレイヤーは最初、サラを操作することになる。ここでも、プレイヤーを感情レベルで没入させる工夫がされている。ゲームを始めたばかりでなにも情報を持たないプレイヤーと、弱者で事態の末端にいるサラ。そのシチュエーションで最も立場の近いキャラクターを操作させることで、より自然に感情移入を起こさせる。

また、これから危機的な出来事が起きようとしているという状況の説明も、
1.叔父であるトミーとの電話が繋がらない。
2.パンデミックに関係した新聞の見出しをみる。
3.テレビのニュースをみる。
4.テレビのリポーターがいた位置が爆発ですぐ近くであることがわかる。
といった演出を階層構造的につくることによって、プレイヤーに状況を説明するだけでなく、危機が迫っているという切迫感を意識させる。
そして街に感染が及び、大パニックに陥るシーン。

ここで操作キャラクターはジョエルへと変わる。この視点変化も非常に重要である。サラの恐怖感をしっかりと味わった上で行われるこの視点移動は、娘を守らなければならないという父親の感情をより一層際立たせ、強力な共感を誘う。
そしてカットシーン。
街の外れまで逃げたジョエルとサラだったが、そこへ感染拡大を防ぐため配置された兵士が立ちはだかる。兵士は二人に向かって容赦なく発砲し、サラは命を落としてしまう。

このカットシーンは、実に14回以上もリテイクが重ねられ、非常にこだわって撮影されたシーンだ。映画監督でもスタンリー・キューブリックやデビッド・フィンチャーなどがリテイクを重ねることが有名だ。何度も俳優に同じ演技をさせて追い込み、奥底にある眠った本物の感情を引き出す。本作でもそういった演出方法を使うことによって、俳優から自然な演技を引き出した。
そうして完成したシーンは実に見事だった。突然の娘の死に直面した筆舌に尽くしがたい父親の悲しみを、プレイヤーは否応なく共有させられ、このシーンによってゲームのエンディングまで釘付けにさせられる。
こうした”自然さ”を追求した演出方法は、物語に確かな説得力と味わい深さを与え、プレイヤーとキャラクターの感情の結びつきをより強固なものへと発展させたのである。
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